不動産は黄金か石ころか

投資調査第2部 主任研究員 大谷 咲太

 企業は空間的な制約がない。活動の拠点はどこでも良い。時代の変化に合わせて業容を自在に変えられ、拡大することも縮小することもできる。千変万化であるがゆえに、加速度的に変化し続ける経済社会では、投資対象として企業の株式は魅力的に見える。ただ、株主が自らの意思を企業行動につなげ、舵を取ることは容易ではない。一方、不動産はその名のごとく、活動の場を変えることができない。不動産投資家はその空間と一蓮托生の運命となるが、株主とは違い、建て替えやテナントの入れ替えを通じて、業容を変えることは可能である。東京や大阪では老朽化し競争力が弱まったオフィスビルがホテルへと転換され、外国人観光客で賑わう施設へと生まれ変わる様子を目にする。

 地方では、人口減少や高齢化によって使われなくなった不動産が増加している。シャッター通りとなった商店街も多くある。目立って顕在化していないが、郊外のショッピングモールにおける空き区画の増加、施設の閉鎖もこれから増えてくるだろう。使われなくなる不動産が増えてくることは不動産市場の縮小を意味するのだろうか。

 時代を遡ること250年。18世紀の西ヨーロッパでは印刷技術の発達により、貨幣は金貨から紙幣へと代替され始めていた。貨幣として持ち運びやすく、鋳造コストもかからない紙が金よりも重宝された。当時は紙幣の誕生によって、金の利用価値は無くなり、石ころのように価値を落とすのではないかと考える人も多かった。現代ではスマートフォンの部品をはじめ、金は様々なものに利用され、紙とは比較にならないほどの価値を持つ。18世紀を生きた哲学者アダム・スミスはこの状況を予見し、紙幣の普及は「空中に馬車道をひくようなもの」だと表現した。馬車道を空中に移せば、これまで馬車を通すことにしか利用できなかった土地を自由に使える。それによって土地の価値は高まるのだと。貨幣として金が紙に代替されていなければ、金は現代のような価値を持っていなかっただろう。

 不動産はどうか。インターネットの登場により、多くの活動が仮想空間へと移行している。最も仮想空間にその領域を奪われているのは、おそらくショッピングモールであろう。ネット通販に売上を奪われ続け、ショッピングモールはその価値を落とすのだろうか。金が辿ってきた道をみれば、必ずしもそうとは言えない。

 全国どこへ訪れてもテナントの顔ぶれがそう変わらない、金太郎飴のように千篇一律なショッピングモールが増殖した。これではネットの侵食は加速するだろう。一方で、シェアオフィスやコールセンターといった就業施設、市役所などの公共施設が商業施設内に入居する事例が見られ始めた。「ショッピング」の機能はネットに譲り、様々な目的で人が集まるモールへと再生しようというのだ。これからは住居やホテルが入ったショッピングモールがあっても良い。使途は自由だ。不動産は場を変えることはできないが、用途を変えることは容易である。商業施設が石ころとなるのか、黄金として輝くのか、まだ道は定まってはいない。

(株式会社不動産経済研究所「不動産経済ファンドレビュー 2019.2.25 No.490」 寄稿)

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