香港:「雨傘革命」と不動産市場

海外市場調査部 副主任研究員   安田 明宏

 2014年9月末から始まった香港の「雨傘革命」は、世界から注目を集めた。ここ数年の香港は、世界のトップニュースを飾らない地味な存在であっただけに、より大々的に取り上げられた感がある。

 2017年に実施される香港行政長官選挙において、一人一票の普通選挙が実施される予定だった。しかし、2014年8月、中国政府は親中派が多い指名委員会で過半数の支持を得られた人物に立候補者を限定する決定を下した。この結果、実質的に民主派の候補が除外されることとなった。これに対する抗議活動が学生を中心に巻き起こり、9月末から香港島の中環(Central)、金鐘(Admiralty)、銅鑼湾(Causeway Bay)、九龍の旺角(Mong Kok)などの主要エリアで占拠が始まった。デモ隊が警察の催涙弾を避けるために雨傘を使用したことから、いつしかこの抗議活動は「雨傘革命」と呼ばれるようになった。

 2015年1月下旬、筆者は香港に出張する機会を得た。最終的にデモ隊の活動拠点が撤去されたのは2014年12月15日で、最大の活動拠点だった金鐘を訪れたときは、すでに人びとは通常の生活に戻っていた。幹線道路を封鎖した無数のテントは、香港特別行政区立法会(香港の立法機関)の前でわずかに残っているだけだった。あのときの熱狂は、人びとの生活の中に埋没してしまったようだ。

 「雨傘革命」による主要エリアの占拠が始まる前から、民主化を求めて中環を占拠する「和平佔中(Occupy Central)」運動が活発化していた。香港の経済的アイコンとも呼べる金融セクターが集中する中環が占拠されれば、相応の経済的損失が生じるとの懸念が広がっていた。「雨傘革命」では、占拠されたエリアは中環にとどまらなかったことを考えると、その影響はさらに大きくなる可能性もあった。

 不動産市場においても、「和平佔中」は懸念材料となっていた。しかし、「雨傘革命」の開始からデモ拠点が撤去されるまでの間、それほど大きな影響は出なかったようだ。筆者が見聞きした中では、以下の影響が見られた程度である。

  • 道路の占拠により、一部の路面店の売上が減少したことから、いくつかの店舗が移転を余儀なくされた。再度、道路が封鎖された場合のことを考えて、路面店からショッピングモールに移転する動きが見られた。
  • 銀行や証券会社、保険会社といった金融セクター企業がバックアップオフィスの必要性を再認識した。再開発が進む九龍東(Kowloon East)エリアがその機能を果たしつつあるが、今後、中環や金鐘、湾仔(Wan Chai)といった中心区以外でオフィス需要が高まる可能性が高まった。
  • 不動産取引市場では、「雨傘革命」開始後、投資に対して慎重な態度を示す投資家が見られた。

 不動産市場で最も懸念されていたのは占拠の長期化であるが、今回の3カ月程度の占拠では、不動産市場に大きな影響を与えないということがわかった。香港では、各種デモが日常的に繰り広げられている。香港の不動産市場には、デモに対する耐性がすでに組み込まれているのかもしれない。

 「雨傘革命」の目的は、行政長官を選ぶ普通選挙の実施を求めることにあった。しかし、「雨傘革命」に向かった背景には、普通選挙の実施が可能となる高度な自治の確保だけでなく、不動産価格(とくに香港の一般市民から見たときの住宅価格)の高騰、中国への経済的依存度の高まりに対する警戒、香港の金融ハブとしての地位の低下、貧富の格差の拡大、一部の財閥や不動産開発企業などに富が集中する社会的、経済的、政治的な構造への不満などがあると考えられている。香港が抱える問題には、1997年7月以降、中国との関係の中で生まれたものも多い。また、中国との関係について、必ずしも香港で暮らす人びとの見方は一致しているわけではない。嫌中派もいれば親中派もいる。さらに、世代によっても中国への親近感の度合いは異なる。

 「雨傘革命」は、中国政府の決定を覆さないという香港政府の強い意志、香港が抱える問題は一朝一夕で解決できるものではないこと、香港は自由主義と社会主義の境界に立つアンビバレントな存在であることを再認識させた程度にとどまった。今回の「から騒ぎ」による不動産市場への影響は最小限に抑えられたといえるだろう。

(写真)金鐘にある香港特別行政区立法会の前の様子(2015年1月29日筆者撮影)
(写真)金鐘にある香港特別行政区立法会の前の様子(2015年1月29日筆者撮影)

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