インドネシア:MRTがもたらす「歩ける」ジャカルタのオフィス

海外市場調査部 副主任研究員   安田 明宏

 2017年12月、インドネシアのジャカルタに出張する機会を得た。前回訪れたのは2014年10月なので、おおよそ3年ぶりの訪問ということになる。この間の大きな変化といえば、バイクタクシーであるオジェック(Ojek)の配車サービス、ゴジェック(Go-Jek)が爆発的に普及したことだろう。緑色のジャケットがゴジェックのトレードマークで、それを着てスマートフォンを操作する運転手を至る所で見かけた。前回訪れた時に緑色のジャケットを見た記憶はない。3年の歳月が流れる間に、オジェックに想像を超えるような変化があったのだ。フィンテックの影響力には驚かされる。

 一方、まったくといっていいほど変わっていないものもある。筆者がスラバヤで留学生活を送っていた2005年から2006年の頃からおそらく変わっていないといっていい。それは街の「歩きづらさ」である。これまで東南アジアのいろいろな都市を見て歩いてきたが、ジャカルタほど歩くことに幻滅させられる都市はないように思う。暑さや治安、大気汚染や洪水といった理由もあるが、何と言っても歩道の不整備が致命的である。

 久しぶりにジャカルタのCBDを歩くので、少しは歩きやすくなったかと期待していたが、実際に歩いてみて、発展のなさを改めて実感した。ジャカルタの目抜き通りでオフィスが集積するスディルマン通り(Jl. Jend. Sudirman)やタムリン通り(Jl. M.H. Thamrin)の歩道は相変わらずガタガタ、穴だらけである。道路の横断も命がけである。特に、スマンギ交差点(Jembatan Semanggi)の横断は大変であった。スディルマン通りやタムリン通りを横断するには、トランスジャカルタ(TransJakarta、専用レーンを走るバス)の停留所にある歩道橋を利用するのが現実的のようだ。しかし、歩道橋もボロボロで、渡っているときに崩落したらどうしようかと不安になる。首都の目抜き通りは一国を代表する顔でもある。このような状態のまま放置されてよいのだろうか。

 スディルマン通りやタムリン通りで働く人びとにとって、すぐそこにあるオフィスまで歩いて行くことができないもどかしさは共通のストレスであろう。車で道路に出れば、ジャカルタ首都圏で年間経済損失100兆ルピア(執筆時点のレートで約7,800億円)と言われる交通渋滞が待っている。歩けば10分もかからずに到着できるはずのオフィスにいつ到着できるのかわからない。道路の反対側にあるオフィスに行くにも、ずいぶんと遠回りさせられる。グレードの高いオフィスが次々と開発される中で、「歩きづらさ」だけがずっと置き去りにされている。歩きづらいから歩かない、歩かないから整備されない、整備されないから歩きづらい。ピカピカに輝くオフィスのすぐ足元では、負のスパイラルが続いてきたのだ。

 「歩きづらさ」の改善では、MRT(Mass Rapid Transit、大量高速交通システム)の開通に否が応でも期待を寄せてしまう。これまでがあまりにもひどかったので、期待は余計に高まってしまう。2019年3月にMRTの運行が開始される予定で、南北線(Jalur Utara-Selatan)の第1期、ルバックブルス駅(Stasiun Lebak Bulus)からブンダラン・ホテルインドネシア駅(Stasiun Bundaran Hotel Indonesia)間が開通する。MRTに乗り、地下であれ高架であれ、駅の構内外を歩けば、これまで「歩きづらさ」で分断されてきたオフィスまで容易にたどり着けることになる。道路の反対側に出るだけなら、MRTに乗る必要はないかもしれない。道路の反対側にぱっと出られるだけでも革命的である。

 「歩きづらさ」が解消されれば、街の印象が変わるのはいうまでもなく、オフィス市場での見方にも変化が生じるだろう。これまでは、オフィスを開発しても、整備されるのはその周辺のごく一部だけであり、オフィス市場全体の魅力をボトムアップさせるには限界があった。整備されるのはそこだけだった。今後、MTRがこれまで分断されてきた個々のオフィスを結びつけることになる。MRTへのアクセスという評価がオフィスの人気度やポテンシャルを測る指標のひとつになるだろう。これまで人気がなかったオフィスが、歩いてアクセスできるようになることで再評価されるかもしれない。さらには、「歩きづらさ」が解決されれば、ジャカルタのCBDで働く人びとにとって、暮らす場所を再考するきっかけとなるかもしれない。まずは「歩けるようになる」こと、これがジャカルタのオフィス市場にとっては、成熟化に向かうための第一歩となろう。

 歩けるジャカルタへの期待は高まるが、根本的な問題もある。インドネシアの人びとは歩かないのである。スタンフォード大学の研究(※)によると、インドネシア人の一日あたりの平均歩数は3,513歩と世界で最も少ないことがわかったという(最も多かったのは香港人で6,880歩)。せっかく歩けるようになったとしても、「やっぱり歩かない」ということになってしまうのではないかと憂慮するのは筆者だけだろうか? オフィス市場の成熟化には、人びとのマインドの変化も必要なのかもしれない。

※ Large-scale physical activity data reveal worldwide activity inequality
(http://activityinequality.stanford.edu/、あるいはNature, volume 547)

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