私募投資顧問部 上席主任研究員
菊地 暁
形式主義を越えるESG
~2026年におけるESGの「質的深化」の本質~
近年、ESGに対する「疲れ」や反発、いわゆるESGバックラッシュが各国で顕在化した。過度な情報開示負担、短期的な業績との乖離、理念先行で実効性を欠く取り組みへの違和感などが、その主な要因である。特にESGが「正解の押し付け」や「コスト増要因」として認識され、経営現場から懐疑的な声が上がる状況が散見された。加えて、一部地域ではESGがイデオロギー化され、企業価値向上とは切り離された規範として扱われるケースも見られた。その結果、ESGは本来の目的である長期的価値創造から乖離し、形式的なチェックリスト対応へと矮小化された。こうした「表面的なESG」の拡大こそが、ESG疲れを助長する最大の要因と考える。
しかし、この反発はESGそのものへの否定ではなく、「経営と結びつかないESG運用」への拒否反応と考える。実際、気候変動による物理的リスクの顕在化、地政学リスクの高まり、サプライチェーンの分断など、企業を取り巻く不確実性は増す一方であり、これらはいずれも本質的にESG課題そのものである。ESGを無視することは、もはや価値創造以前に、重大な経営リスクを見過ごすことと同義になりつつある。
この状況において、2026年に向けたESGは「やるか・やらないか」という是非論の段階をすでに通過し、「どう経営に組み込むか」という実装フェーズへと移行している。重要なのは、画一的なKPIや外部評価への追随ではなく、自社の事業特性、価値創造プロセス、リスク構造に即したESG戦略を設計できるかどうかである。ESGはもはや外圧ではなく、経営の内在的要請として再定義されつつある。短期的には政治的反発や評価手法の揺り戻しが生じているものの、年金基金などの機関投資家にとって、企業のESGへの取り組み状況は依然としてリスクとリターンを左右する重要な非財務情報である。現段階において、ESGを軽視する企業は、将来的に資本コストの上昇や投資対象からの除外といった形で、その影響を受ける可能性が高い。
2026年のESGのキーワードは「量的拡大」ではなく「質的深化」となろう。ここでいう「質的深化」とは、ESG項目を増やすことでも、評価指標を精緻化することでもない。ESGを「別枠の管理テーマ」として扱うのではなく、企業の意思決定プロセスそのものに組み込み、経営成果と不可分なものとして機能させることである。ここで、特に重要となるのが「実効性」「検証可能性」「経営プロセスへの組み込み」の三点である。
「実効性」とは、ESGが事業戦略や投資判断にどの程度影響を与えているかを指す。例えば、人的資本を重視する企業では、単に女性管理職比率や研修時間を開示するのではなく、それらが事業ポートフォリオの高度化や生産性向上にどう結びついているかを問うべきである。人材確保が競争力の制約条件となる中、S(社会)は理念的なテーマではなく、事業継続と成長の前提条件へと位置づけが変化している。
「検証可能性」とは、ESGの取り組みが実際に経営行動や成果に反映されているかについて、第三者が客観的に確認出来る状態を指す。例えば、グリーンウォッシング 1への規制強化を背景に、ESGは「語るもの」から「証明するもの」へと移行した。環境目標や人権方針は、将来計画の提示だけでは不十分であり、定量データ、進捗管理、第三者の検証を通じて説明責任を果たすことが求められる。この変化は、ESG開示が広報やIRの延長ではなく、経営管理の一部として扱われる段階に入ったことを意味する。
「経営プロセスへの組み込み」とは、ESGを独立した施策や評価として扱うのではなく、事業戦略、投資判断、リスク管理といった中核的な経営プロセスに組み込むことである。例えば、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)は、企業活動が自然資本にどの程度依存し、どのような影響を与えているかを可視化し、それを財務リスクや機会として経営判断に反映することを企業に求める点に本質があり、新たにESGテーマを追加するものではない。これは、ESGが環境配慮という「善意」や付加的配慮の領域を超え、事業の成立条件や継続可能性を左右するリスク管理の中核へと組み込まれつつあることを示している。
このように、気候変動のみならず、S(社会)やTNFDが注目され始めたのは、ESGの論点が増えたからではない。ESGが経営の周辺的な配慮事項ではなく、事業継続や投資判断を左右する中枢的な要素として扱われ始めた結果である。人材やサプライチェーンを巡る社会課題は、理念や評価対応の領域を超え、企業の競争力やレジリエンスを直接規定する制約条件となりつつある。同様に、TNFDが可視化しようとする自然資本への依存と影響は、環境配慮の延長ではなく、事業リスクそのものとして経営判断に組み込まれ始めている。「項目を並べて対応するESGから、経営判断そのものを変えるESGへ。」この転換こそが、2026年におけるESGの「質的深化」の本質である。
結論として、ESG疲れの時代に企業に求められるのは、ESGを「目的」として掲げることではない。事業戦略、投資判断、人材政策にESGを組み込み、その結果として社会的価値が立ち現れる状態をつくることである。外部評価に最適化する企業ではなく、不確実性の高い環境下でも持続的価値創造を可能にする経営基盤を構築できる企業こそが、次の時代の勝者となるだろう。
- 環境に配慮したかの様に見せかける、実態が伴わない行動や表現を指す























